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薄いブログ〜20代大家の賃貸日記や、週末の朝活など〜

20代ど素人が始めた賃貸経営の話や、週末に運営している朝活の話など〜

池波正太郎「男の作法」を読んで想う:気遣いのできる人、できない人

 最近、気遣いの足りない人が多いように感じます。

 

・混雑した地下鉄に乗車しても奥まで詰めず、ドア付近で立ち止まる人。

・改札の入り口で立ち止まり、鞄からPASMOを出そうとしている人

・人ごみの中で、突然立ち止まって方向転換する人

 

こういった光景をよく目にすると、気遣いの美徳が薄れている気がしてなりません。

とはいえ、こんな事を口にしながら僕自身も、気遣いが出来ない人間です。

気遣いは疲れるし、折角気を遣ったのに気づいてもらえない事もありますから、どうしても面倒くさいと感じてしまいます。

 

この図で見ると、間違いなく右のメールを打つタイプの人間です。

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「気遣いする意味ってあるのかなー」

池波正太郎「男の作法」を読んで、そんな想いは消し飛びました。

 

『トロばっかり十個も十五個も食べてるやつがいるでしょう、金にまかせて。

こういう客はね、鮨屋が困っちゃうんですよ。とろというのはそんなに儲からないんだよ。何しろもとが高いんだから(中略)。

それをね、金を払うんだから何をいくつ注文しようと客の勝手だと言わんばかりに、トロばかりパクパクやっちゃって、あと何も他のものを食べないというのは、やっぱりいやな客ということになるわけだよ。』

 

『「揚げるそばから食べる…」のでなかったら、てんぷら屋なんかに行かないほうがいい。そうでないと職人が困っちゃうんだよ。

だから、てんぷら屋に行くときは腹をすかして言って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ」』

 

恥ずかしながら、私は今までずっと、寿司屋では原価率を考えながら、自分が一円でも得するように注文していました。天ぷらを前にして、くっちゃべっていた事も多々あった気がします。

池波さんは真逆ですね。客として店に入っているにも関わらず、どうすれば鮨屋のおやじ、てんぷら屋のおやじが喜んでくれるのかを考えています。

 

なぜこのような違いが生まれるのか。気になって本を読み進めると、その理由が書かれていました。

 

『「いつまで生きられるか…」ということをまず考えないとね。(中略)

われわれの時代というのは二十一、あるいは十八か十九で、それを考えなきゃならなかった。ぼくだけじゃなくても、だれしも。いうのは、戦争というのがあって、よっぽどの病人でない限り、戦争に出なきゃならないんだから。(中略)

ところで、きみたち、自分が死ぬということを一度でも考えたことあるの?(中略)

自分の死ぬことを考えたら、他人の死ぬこともわかるでしょう。

そうすれば、奥さんの母親がもう年齢なんだ、いつ死ぬかわからないとしたら、一回ぐらいどこかへ連れて行こうということにもなるわけですよ』

 

池波さんは、足るを知る人なのだと思います。

「生きているだけで儲けもの」「仕事があるだけ幸せ」

これだけで十分、自分は満ち足りているではないか、と。

漠然とでもこういう風に思えると、相手を想う余地が生まれるのでしょうね。

 

『タクシーに乗って、メーターが500円だったら600円やる。(中略)

運転手が、お客さんが100円くれたとなれば、たとえ100円でもうれしくなって「どうも済みません、ありがとうございます…」と、こう言いますよ。

そうすれば、その人がその日一日、ある程度気持ちよく運転出来るんだよ。それで、大袈裟かもしれないけれど、交通事故防止にもなるんだよ。少なくとも、次に乗るお客のためになっているわけだ。

みんながこういうふうにして行けばだね、一人がたとえ100円であっても、世の中にもたらすものは積み重なって大変なものになるわけだよ。(中略)

だから、そのことを考えて実行することが、「男をみがく…」ということなんだよ』

 

こんな事が言える人間になりたいものです。

そのためには、死を強く意識するような出来事が必ずしも必要な訳ではないと思うのです。

自分には仕事がある、家族がいる、恋人がいる、といった幸せに改めて気づくことから始まるのではないでしょうか。 

 

こんな本に25歳で出会えて良かったと、朝から感じました。

 

そして実は、この本を僕に勧めてくれたのは、読書会で出会った一人の大学生なのです。

これだから読書会は面白いんですよねー!