読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

薄いブログ〜20代大家の賃貸日記や、週末の朝活など〜

20代ど素人が始めた賃貸経営の話や、週末に運営している朝活の話など〜

自分の評価に納得いかない人は、誰にどう評価されたいか、を考えてみたらいいかもしれない

こんばんは。

読書会アプリ「Ohanashi」を作ったり、読書会を開催している人です。

 

最近プログラミングにドはまりして、電車の中でも問題を解いてウヒウヒしているためブログの更新が滞っていました。

 

 

さて、企画という仕事柄、人々の気持ちが赤裸々に綴られるヤフー知恵袋などをよく眺めるのですが、

特によく目にする「人事評価」について感じたことを薄っぺらく書こうと思います。

 

 

自己評価と他者評価が一致することはありえるのか?


世の中には、

・自己評価が他者評価より高い人間

・自己評価が他者評価より低い人間

 

がいて、自己評価と他者評価にズレが生じると、

「俺はもっと評価されるべきだろう!」と怒ったり、

「もう貝になりたい・・・」と落ち込んだりします。

 

このズレに悩む上司や部下は多いのではないでしょうか。

 

 

 

もちろん自己評価と他者評価が完全に一致して

「頑張れば頑張った分だけ評価される」

「サボっていると評価されない」

となれば理想的なのでしょうが、こんな状態が実現することはほとんどありません。

 

評価者はいつも自分を見ているわけではないし、

環境によって評価される項目も違いますよね。

「ミスなく仕事をこなす人」が評価される環境もあれば

「たとえ失敗してもチャレンジする人」が評価される環境もある。

 

人が人を一部だけ切り取って評価する以上、

人間は一生、他人からの評価に悩む生き物なのかもしれません。

 

 

かくいう僕も数年前、他人からの評価が怖くて仕方ない時期がありましたが

あることを意識したらフッと楽になりました。

 

それは「誰に」「どう評価されたいか」を考えることでした。

 

「誰に」「どう評価されたいか」を考える

 多くの人が自分の評価に悩む一方、

「じゃあ誰にどう評価されたら嬉しいの?」と聞いてみると

明確に答えられる人があまり居ないんじゃないかな、と感じています。

 

「上司に」「よくやった」と褒められたくて頑張っている人は、

ちょっと立ち止まって考えてみると楽しいかもしれません。

 

 

 

 

「誰に」「どう評価されたいか」を考えるのは非常に大切です。

 

 

僕が10歳くらいの頃、道に落ちていた財布を拾って交番に届けたら、交番の方が「えらいねぇ!いい子だねぇ!」と褒めてくれたので、

それからは毎日のように「財布を拾って届けよう」と道路を探していたのを覚えています。

 

そんな純粋な少年も25歳になり、メダルコーナーのゲーム機の下に落ちたメダルを拾う薄汚れた青年に成り下がりましたが、

 

要は「人は、自分が評価された行動を繰り返す習性がある」気がするのです。

 

「洗い物を手伝ってくれて、ありがとう」

と本心から言われ続けたら自然と手伝うようになるし、

 

「今日も正確なレポートを作ってくれて、ありがとう」

と言われたら一層気をつけてレポートを作成するようになる。

  

しかし、評価を求める相手を間違えれば、間違った行動を評価されるようになります。

間違った行動を評価されると、間違った行動を繰り返すようになる。

集団的に間違った行動を繰り返すようになると悲劇が起きる。

ドイツ、アメリカ、日本。どの国の歴史を見ても明らかですよね。

 

自分が評価されていない、価値を認められていないと感じる時ほどこの傾向は強くなるのですが、改めて自分に対する評価に納得いかない時は

 

「自分は誰に、どう評価されているのか?」

「その評価は自分にとって本当に重要なのか?」

「自分は誰に、どう評価されたいのか?」

 

なんてステップで考えてみればよいのではないでしょうか。

 

 

ゆえに、限りなく無様な格好で床に這いつくばってメダルゲームのメダルを拾う僕の思考は以下の通りです。

 

「僕は今、周囲から生ゴミを見るような目でみられている」

「しかし60億人いる人類の中で、彼らと再び会う可能性は限りなくゼロである」

「メダルゲームのスロットに評価された方が有益である」

「ゆえに僕はメダルを拾う」

 

今でも僕は自分の行為に一片の悔いもありません。 

 

 

自分で自分を評価する状態

僕がクズである件はさておき、

「自分が誰にどう評価されたいか」を考えると

 

・目標とする人物像

・自分が熱意を持って取り組めること

・自分が本心からやりたい事

 

この辺りが見えてくる、という副次効果があります。

 

ここまで分析が進めば、もう人生こっちのもんです。

 

「自分がどうなりたいのか」

「どんな自分なら好きになれるのか」

 

このゴールが見えている状態で走れるわけですから、

あとは自分が目標とする状態に近づいているか自分自身で確認しながら、

時にはペースを緩め、時には力を入れる。

 

自分で人生の手綱を操りながら、自分が認められる自分になるまで努力すればよいだけです。気分もだいぶ楽になりますよね。

 

そんなわけで、評価を気にしてクヨクヨしていた数年前の自分に会えるとしたら

「誰に、どう評価されたいのかを考えてみたら?」と伝えたいです。

 

あとは

 

「ぶっ倒れるまで勉強してくれ。今の俺がバカで困ってる」とか

「1日1食、公園で生活してくれ。今の俺が金に困ってる」とか

色々伝えたいことはあるのですが、10年後の僕にも同じことを言われそうなので、そろそろ勉強に戻ろうと思います。

 

目が痛い・・・