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薄いブログ〜20代大家の賃貸日記や、週末の朝活など〜

20代ど素人が始めた賃貸経営の話や、週末に運営している朝活の話など〜

歳を重ねる毎に、母の直筆誕生祝いが心に沁みる

昨日、26歳になりました。

「どぅわな」です。

 

有難いことに沢山の方から誕生祝いの言葉をいただき、

今年も頑張ろう、と気持ちが引き締まりました。

 

さて歳を重ねると様々な変化が訪れます。

活躍するスポーツ選手との年齢差に愕然とする回数が増えたり、

全員年上だった職場に年下の後輩が入り、どう話してよいか分からずドギマギしたり

 

ただ、特に最近気になっている傾向があります。

 

歳を重ねると、めちゃくちゃ涙もろくなる

とにかく涙もろくなるのです。

 

特に、母からの手紙に涙もろくなるのです。

 

毎年、誕生日に母から直筆の手紙が届きます。

内容にさほど大きな違いは無いのですが

年々、心の受け取り方が変化する自分に驚かされています。

 

高校生の頃→「えー恥ずかしいわぁ」

大学生の頃→「お、手紙だ・・・うれしいな」

新社会人の頃→「母ちゃん・・・おれ、頑張るわ」

いま→(手紙をポストに見つけて涙ぐむ)

 

何でしょうねぇ・・・もう、すぐ心が揺さぶられるのですよね

 

接し方の多様性

社会人になると、人との接し方に圧倒的な多様性が生まれます。

好きだけど怒らなければいけない、

嫌いだけど笑わなければいけない、

そんな自分の感情を偽る機会が増える気がするのです。

 

学生時代も多少そんな機会もあるとは思いますが、

社会人になると行動が生活に直結するので

それはもう、桁違いの真剣度です。

 

「成果が出ない」

=「お金がもらえない」

=「自分、家族が生きられない」 

 

わけですから、「利害」「損得」の占めるウェイトが圧倒的に強くなり

「感情」を自由に動かす範囲が急激に狭くなります。

 

大抵の人はね。

自由に動かして総スカンを喰らう人(99%)もいれば、

大成功する人(1%)もいるわけですが。

 

 

「感情を抑える」という暴力

「感情を抑える」というのは並大抵の難しさではなく、

僕はこれを暴力的な行為と呼んでも差し支えないと考えています。

 

例えるなら

自由に動き回ろうとする「感情」という生き物を押さえつけて、

さるぐつわを噛ませて、縛り上げて、

それでも暴れまわるので殴りつけて鎮める行為だと感じています。

 

それぐらい、感情を抑えるのって痛いと思うんです。

 

 

そんで動こうとするたびにボッコボコに殴られていたら、

やがて動こうとも思わなくなりますよね。

 

「ふぅ、やっと動かなくなったか・・・」と一仕事終えた感慨に浸るのも束の間、

1年くらい経って「そろそろ動いていいよ」と許してやっても

殴られ続けた感情は怯えて動けなくなっています。

 

すると今度は「おい!動けよ!」と殴り始める。

「もっとやりたいことをやってみろよ!」と殴り

「お前はどう感じたんだよ!」と蹴り、

ボロボロに擦り切れて動かなくなった感情を動かそうとする。

 

どうも、人間というのは

自分の感情に対してどこまでも非情な生き物のように思えるのです。

 

親は、感情を自由に動かせる相手

そんな中、親というものは

よくも悪くも自分の感情を抑えることなく動かせる稀有な存在であり

その心地よさと、それを許してくれる愛に深く感動しているのかもしれません。

 

「家族」であれば自分が守らなければいけないし、

それも時には感情を抑えることにつながるなか、

やはり親というのは特別な存在ではないでしょうか。

 

とはいえ、いつまでも同じ状況が続くわけではないし

逆に、親には自由に感情を動かせない人も居るなか、

自分はとてつもなく幸運な人間だと自覚しつつ

昨日26になり、親の有り難みに深く感動した一人でした。