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薄いブログ〜20代大家の賃貸日記や、週末の朝活など〜

20代ど素人が始めた賃貸経営の話や、週末に運営している朝活の話など〜

日本人と怒りの付き合い方

こんにちは。

 

最近、怒りっぽい人が多いように思います。

気のせいかもしれませんが。

 

老若男女問わず、周りの人を押しのけながら満員電車に乗り込む人。

自分とは何ら関係のない芸能人の不倫報道に、これ幸いと義憤を隠れミノにウサ晴らしをする人。

他人の揚げ足をとることに命をかけて、言葉の不謹慎狩りを繰り返す人。

 

怒りっぽい人に囲まれた生活は、とても息苦しいと思うのです。

 

そして、何だかこの怒りっぽさは

日本人特有の性質なのかな?と最近感じはじめています。

 

よく文句を言うイギリス人、ドイツ人

その昔、イギリスとドイツに住んでいた頃。

まぁ彼らの感情の激しさ、不満の量に面食らいました。

 

日本ではあまり見かけない光景だと思うんですが

たとえば給湯器が壊れてお湯が出なくなろうものなら

シャワーから裸一貫で飛び出して来て

 

「マァァァァザファッカアアア!!この水道を作ったやつの腸をえぐり出して、

 子孫もろとも平行世界からもぶち◯してやる!!!ガアッッッデム!!!」

 

くらいの勢いでブチ切れてキッチンを5周しつつ全員に怒りを共有してから去ったり。

 

 

例えば自販機にお金を入れて、ボタンを押しても商品が出てこないと、これまた

 

「シイイイイッッット!!!!この自販機作ったやつぁゴキブリと人間のハーフにちがいねぇ!縛り付けて、目の前で先祖もろともアースジェットしてやりてぇ!!!ビッチ!!!!」

 

くらいの勢いで吐き捨てたりします。

 

とにかく「我慢」というものを知らない生物なのです。

 

なので、しょっちゅう喧嘩が勃発するのですが

なぜか全く尾を引かない綺麗な終わり方をするのが

彼らの不思議な特性なのです。

 

たとえば僕が以前ドイツで働いていた頃、

仕事上の意見対立から、ものすごい剣幕で先輩二人が怒鳴りあっていたものですから

「あー、職場の空気が悪くなっちゃうなぁ・・・」と心配したのですが

翌朝には二人揃ってコーヒーを飲みながら談笑している。

 

「昨日はあんなに怒鳴りあっていたのに、すごいなぁ・・・」と関心したものです。

 

確かに、よくよく彼らの言い争いを振り返ってみると

 

「お前の意見は、これこれ、こういう理由で、間違っている」

「違う、これこれ、こういう理由で、正しい」

 

など、議論が「発言内容」「その根拠」などに徹底しており

一度も個人に対する人格攻撃や、「もうたくさんだ!」といった

投げやりな感情発露はなかったように思うのです。

 

そしてふと、僕の母校(米国式のインターナショナルスクール)が用意していた、

ある授業のことを思い出しました。

 

(Anger Management)アンガーマネジメント

僕の学校には(確か)anger managementという授業がありました。

直訳で「怒りの制御」でしょうか。

 

しょっちゅう喧嘩をしてしまう問題児が強制的に受けさせられる

さながら更生授業のようなカリキュラムでした。

 

そしてその内容は授業というより、

様々な質問を通じた状況分析の時間でした。

 

「相手は、具体的に、あなたに何をしたのか」

「具体的に、どの発言が気に障ったのか」

「それはなぜなのか」

「相手は、どんな意図で、あなたにそんなことを言ったと思うか」

「なぜ、相手はそんなことを言ってしまったのか」

「想像で構わないから、相手が怒った理由と、その背景を可能な限り挙げてみよ」

 

やっている事は非常に単純で

 

「相手の立場を考えよう」

 

これだけなんですね。

 

喧嘩をした当事者が双方、このような分析を実施してから

 

「僕がこんな事を言った時、君はこういう理由から、こう感じたと思う」

「それに対しては申し訳ないと思っている」

「でも僕は、君があんな事を言ったとき、こう感じた」

「それに対しては謝罪をしてほしいと思っている」

 

と、お互いに、相手の気持ちを想像した結果を伝える。

 

これを繰り返すことで和解を促す時間でした。

 

当時の僕は小っ恥ずかしさを感じていたのですが

幼少期から「感情の授業」を受けることは

相手を尊重しつつ問題を解決する心構えを学ぶ、

とても有意義な時間だったと思います。

 

なぜ日本人は話し合わないのだろうか

僕が日本で生活していて一番強い違和感を覚えるのは

「話し合い」に対する異様なまでの拒否感です。

 

直接注意してくれない

例えば僕が社会人1年目の頃。

当然、今まで英語で生活してきたわけですから

敬語がまったく使えません。

 

とはいえ、特に周囲に注意されることもなかったので

拙いなりに、ちゃんと敬語は使えてるのかな?思っていたら

ある日、先輩社員がこんな事を教えてくれました。

 

「ベテラン社員のAさんが、お前の口調が気に入らないって言ってたよ」

 

その話を聞いて直ぐAさんの席に向かい

「僕の口調が失礼だったようですね。ごめんなさい」と謝罪したところ

「おお・・・いや、むしろ陰口みたいになってすまんね」と

許していただけました。

 

でも、もし先輩がAさんの不審を教えてくれなければ

僕は生涯Aさんに嫌われ続けていたことになります。

 

そして「嫌い」という気持ちは必ず伝播しますから

僕もいずれはAさんを嫌っていたかもしれません。

 

なぜAさんは僕に伝えてくれなかったんだろう。

とにかく不思議でなりませんでした。

 

「解決」より「謝罪」

また別の日に、別の先輩から飲み会の席で

「お前は、生意気なんだよ」

と、直接注意されたことがありました。

 

そこで「どういうところが生意気なんですか?」と聞き返したところ

「そういうところが生意気なんだ!」と、さらに怒られました。

 

何度「具体的な状況を教えてください」と聞いても

「そういうところだ!」としか返されないので

 

さすがに、それに対しては僕も納得できなかったので

 

「僕としては「生意気だ」と言われたので

 原因を知って直して、あなたと仲直りしたかったです。

 

 でも、あなたにとっては問題を解消して良好な人間関係を築くことより

 形だけの謝罪を得るほうが大事なんですね。

 では、形だけ謝ります。ごめんなさい」

 

と言ったら、めちゃくちゃにブチ切れられました。

 

 

 

今にして思えば当然なのですが(それを当然と思う程度には日本の文化に慣れてきた)

 

 

これも、当時とても不思議でした。

 

同じフロアにムカつく相手が座っているより

対話して解決した方が絶対に良いのに

なぜこの人は解決を選ばないのだろう・・・と。

 

 

溜め込んだ怒りの肥溜め

当然、解決しないまま溜め込んだ怒りは、いずれ爆発します。

 

昔は「我慢」「沈黙」が美徳であり、

それを適切に処理できるだけの技量が日本人に備わっていたのかもしれません。

 

でも正直、完璧に「我慢」できている人を、僕は見たことがありません。

 

1ヶ月、1年先かもしれませんが、いつかブチ切れた時に

「そういえばお前は半年前、こんなことをしたな!」とか

凄まじく過去に遡ってなじられることが多いです。

 

それは問題が発生した時に言ってくれよ、と思ってしまうのです。

 

「お前の先祖が鎌倉時代に俺の家に火をつけたな!その恨み!」

 

とか言われてる気分です。

そんなもん僕の先祖に直接言ってほしいですよね。

 

こうして「その時々で言わずに溜め込まれた怒り」が

満員電車や下世話な不倫報道、SNSなどの肥溜めに

噴流しているように感じるのです。

 

日本では、もう少し「対話」に高い価値がつけられても良いのではないでしょうか。

 せっかく人間は高度な言語能力、情報共有能力を有しているので

これを使わない手はないと思うのです。