薄いブログ〜20代大家の賃貸日記や、週末の朝活など〜

20代ど素人が始めた賃貸経営の話や、週末に運営している朝活の話など〜

優秀さの定義を考える時間があったら筋トレでバキバキボディを手に入れた方がいい

 

Facebookを眺めていたら、会社の同期が

 

「優秀さの定義ってなんだろう・・・」

 

と子羊のような投稿をしていました。

 

そこで、ふと思ったのですが

 

そもそも優秀さって、

考えるべきタイミング、考えるべきではないタイミングがあると思うんです。

 

 

 

他人の優秀さについて考えるべきタイミング

 

基本的に、リーダーや管理職など、

他人を評価するやんごとない必要性が生じた場合を除いて、

他人の優秀さを積極的に考えるべきではないと考えています。

 

 

 

そもそも主観が入るから

 

他人の評価には必ず主観が入るので

厳密に定義して、誰もが納得する定義を用意する事は不可能、

もしくは非効率だからです。

 

「あいつはデキる」

「あいつはデキない」

 

それ、なんの基準で判断してるんですか?

どんなチェック項目に照らし合わせて判断したんですか?

全くわからない。

 

前の日にアメちゃんをくれたから好意を抱いて

「あいつはデキる(アメちゃんくれたから)」と懐いているだけかもしれません。

 

前の日にコーヒーグラインダーもビックリの勢いでゴマを擦ってきた相手だから

「あいつはデキる」とさらなるゴマを求めているだけかもしれません。

 

主観が混じった時点で、正確な評価にはなりません。

給与計算に必要とか、よほどの理由がない限り、考える労力に見合わないので

その時間をスクワットに充てて強靭な下半身を手に入れましょう。

 

 

おこがましいから

 

自分が「スゲー!」と思う人の「優秀」と感じた要素を分解して

細かく学んでいくプロセスには意味があると思います。

 

たとえば漠然と誰かを「優秀だな~」と思うだけだと

 

○○さんは、すごく優秀だと思います!

 僕も将来は、○○さんみたいになりたいです!」

 

こんなの、わんぱく少年団のつよし君(7)が

プロ野球選手に抱く憧れと同じレベルです。

すごく微笑ましいです。いい選手になれるといいね!

 

しかし、このつよし君(7)が

 

○○さんはフルスイング中もしっかり頭が残っているため、視線がブレにくいことが

 変化球に対応できる強さだと感じました。それを実現する下半身の強さを身につけ

 ○○さんみたいになりたいです!」

 

と考え始めたら

具体的な学びが始まっているので、より大きな意味を持つと思います。

また、それを基に「この人と働きたい!」とか考えて

仕事を少しずつシフトしていくのは有益だと思います。

 

だから「すぐ取り組める要素まで分解する」という意味では

確かに優秀さの定義を考える意味はあると思うのですが

 

それ以外の評価は、普通におこがましいです。

すごい人を普通に高評価して同じ土俵に立ってる感に浸るのも、

できない人を論って優越感に浸るのも、

どちらも人間の中の汚いアレをダダ漏れしてるだけです。

 

誰かを評価する暇があったら自分が努力した方がいいです。

 

○○は優秀、○○はそうでもない」とか言いたいだけなら

どこぞの防音設備に入って1日中ペッパー相手に「○○は優秀だ」とか評価してて欲しいです

 

ペッパーなら優しいので

「そうですね。あなたも優秀ですよ」って最初のうちは返してくれると思います。

 

3時間くらい経ったら、

さすがのペッパーも「そろそろ黙れよ」って言うかもしれません。

 

 

「みんな優秀」と思ってた方が圧倒的に人生豊か

 

そもそも優秀「じゃない」と評価する事に、意味がありません。

 

だって、露骨に薄っぺらい褒め方をしない限り

大概は高評価した方が相手から好感が得られるので

よほどの事がない限りはひたすら「あいつはデキる」と

出会った地球人全員に思っていた方が人生は豊かなわけです。

 

なかには低評価したほうが奮い立つ、それが許される信頼関係もあるかと思いますが

基本的には一寸の虫にもフルスタックの魂、を意識して損はないと思うんです。

 

それに、「評価」って驚くほど人の口を通じて広がります。

 

○○が△△のことをダイオウグソクムシにも劣る知性って言ってた」とか

「△△が○○のことをクラミジアって呼んでた」とか

 

シェンロンみたいな、たいそう立派な尾ひれがついて話がぶわーっと広がっていきます。

 

本人の耳に届いたら、確実に嫌われますよね。

だったらそんな事、考えない方がいいです。

 

炎上マーケティングで稼ぎたいなら話は別ですけど。

口頭コミュニケーションには広告が貼れないから一円の得にもなりません。

 

 

 

 

自分の優秀さについて考えるべきタイミング

 

 

ありません。

 

自分の優秀さなんて、考える意味がありません。

 

人が他者に頼って生きる生き物である以上、他者評価の方が強いわけですから。

 

自己評価と他者評価にズレが見つかった時

自己評価が優先される事なんて、アラブの石油王でもなけりゃ、ありえません。

 

だったら考える意味がありません。

それより勉強して成果を出した方がいいです。

 

 

そもそも自分に対して甘い人間だったら、自分を優秀だと思いがちだし

自分に対して厳しい人間だったら、自分をボケナスだと思いがちだし

これも主観が混じるわけですから、そんなモノに一喜一憂しても意味がありません。

 

 

昔はよく「会社の評価面談の時にズレが起きないよう、優秀さの定義を考えておかねば」とか考えましたけど

結局、自分を自分で評価する必要は無いんですよね。

 

まずは、「自分はこういう基準で評価して欲しいです」という定義を相手と合意します。

この定義がズレると悲惨です。

システムエンジニアとして毎日がんばって働いてたのに

「君はフォアハンドが下手だから評価1だね」とかいきなり言われたら困ります。

 

その定義に沿った事実を、判断材料として提供します。

 

自分は今回、こんなプロジェクトやりました。

結果、これだけの売上が生まれました。

 

ここまでやったら、あとは相手の評価に任せるしかないじゃないですか。

自分で評価したって最後は他者評価がそれを勘案して上塗りされるわけだから。

 

「自分は優秀なんだろうか・・」とか考える時間を筋トレに充てて

腹筋バキバキにしてた方がマシですよね。

 

 

 

 

結局、すべての人間は幸せに過ごすために生きていると思っているので

「自分は優秀だ!」と思うことで幸せに近づくなら思っておけばいいし

「自分はポンコツだ・・・」と思うことで幸せになるなら、それでいいと思うんです。

 

でも、考えるだけで滅入ったりするようなら、考えない方がいいです。意味がないから。

 

そして他人の評価はペッパーにでも呟いてた方がいいと思います。

・主観が入るから意味がないし

・おこがましいし

・みんな優秀、って思ってた方が人生豊かです。